なにもかも忘れる方法

記憶とは、がんばって忘れるものだった。少なくとも、俺の記憶にある最古の俺にとっては。

どうやって忘れたのかは忘れたけど、小さい頃、なんらかの努力によってそれまでの記憶をすべて忘れ去った、という記憶がある。 まあでもそんなことできるはずないので勘違いか夢やったんやろうなあ、

と思ってたけど、亡くなった祖母がいつぞや、そういえばこういうことあったなあと語り出して、とりあえず夢ではなかったことが判明した。 どうやらこの超人的忘却が行われた現場は祖母の家で、俺はその成功を近くにいた祖母に報告していたらしい。「これまでのことをぜんぶ忘れた」的なことを俺に言われてびっくりした、と祖母。 そのシーン、俺は覚えてないけど。

こんなふうに、忘れるのもずっと覚えているのも自由自在にできる、みたいな特殊技能がたとえ身に着けられたとしても、記憶はままならない。記憶というものは、一人の人間に閉じたものじゃないから。 幸いにして何を忘れたのかという内容は謎のままだけど、忘れたということ自体を忘れようという完全犯罪めいた俺の試みは、祖母の記憶によって阻止された。

忘れるなら黙って忘れるに限る。

こういうことがあったなあ、と語りだした頃の祖母はところどころ意思疎通があやしくて、思い出してほしいことを思い出してくれなかったりするのに、 なんでこんな思い出してほしくないことを思い出すんやろ、と思った。恥ずかしかった。でも嬉しかった。おかしいな、忘れたかったはずなのに。たぶん、覚えててほしかったんやろうな。心のどこかで。

そんなわけで、祖母のことを思い出すときにはこれを真っ先に思い出す。その祖母はもういないから黙って忘れていればいいのに、俺は覚えていてくれたことを覚えていたい。 忘れようとしたばっかりに覚えることが増えて、それは喜ぶべきか悲しむべきかどっちなんだろう。

覚えていられるのはいつも結論だけだ。覚えていられない記憶をまたこうやって親しい人や文字に託しながら、忘れては思い出し、思い出してはまた忘れるんだろう。なにもかも忘れる方法なんていうものはない。